会えたらいいな。

INTERVIEW VOL.6 冒険家 八幡暁さん シーカヤックで国内外を旅する傍、命や環境や暮らしについて講演活動を行なっている冒険家の八幡暁さんをお招きし、自然のこと、人間のこと、いのちのこと、地域のこと、たくさんのお話をうかがいました。

自分の居場所がなくなったら本能の喜ぶ世界があった

池野

八幡さんと言えばシーカヤックで世界の海を単独無伴走で漕破して数々の記録を持っていらっしゃいますが、NHKのドキュメンタリー「グレートシーマン」でご存知の方も多いと思います。そもそものきっかけは大学生の頃に漁村巡りをしていたことからと聞いているのですが、なぜ漁村巡りだったのですか。自分探しというより何かコンプレックスが背景にあったりしたのかな、という気がするのですが?

八幡

実は僕コンプレックスだらけだったんですよ。兄貴が2人いるんですけどいわゆる優秀で、僕は出来ない。でも運動は好きなので中学の頃から運動をやってた。でもだんだん1番でいられなくなり大学でこれはダメだと思って辞めてしまって。アメリカンフットボールやってたんですけど、勉強も出来ない、スポーツもいまひとつで、逃げ場がなくなっちゃったんです。「いい学校行っていい会社入らない奴はダメ」みたいなプレッシャーが強い家だったんですよ。

池野

厳しいご家庭だったんですね。

八幡

んー、親父がそういう企業戦士だったっていうのがあるかもしれないですけどね。大学時代に発揮しようと思ってたスポーツもダメで、どうしようかなみたいな時期に、昔遊んでた場所に行ってみたんです。そしたらすごい道路が敷かれていてまた居場所がなくなった(笑)。多摩川なんですけど、昔は増水した川を泳いでみたりとか、何百メートル上まで行って泳ぎながらずっと流れてみたりとか、あそこで魚捕まえて食べたなとか、もう一回そういうことやりたいな、みたいなのが沸々とあったんですね。

池野

その頃の記憶ってキラキラしてますよね。いつまでも色褪せない。

八幡

それで、この川の水ってどっから流れてきてんだろうなー、と子供の時思っても出来なかったことあるじゃないですか。じゃ、行ってみようかなとかって。

池野

大学生の今だとなんでもできる(笑)。

八幡

そう、おもむろにですよ…おもむろに(笑)。それも道路じゃなくて、川っぺりをずっと辿って行って。それがやってみて楽しいんですね。知らない世界が広がってるんだみたいな実感があって、そういうことをやり始めたっていうのがスタートなんですよ。

池野

漁村巡りの前に多摩川でのノスタルジックな体験が今の八幡さんを導いたのですね。

八幡

だから最初は海でも何でもなくて、自分が活躍するしかないと思った世界から逃げて離脱してたら、たまたま僕の本能的にすごい喜ぶ世界があったんですね。

池野

なんか分かるような気がします。ワクワクしたんでしょうね、八幡青年は。

八幡

ワクワクしましたね。で、歩いて行ったら、それからずっと奥多摩の方まで行ったはいいが道に迷って森に取り残されたんです。誰も知らないんですよ、僕がいることを。勝手にやってるわけだから。夜になると鹿が出てきたりとか、キャンキャン何か鳴いたり。当時の僕は1人だし、テントも装備も何も知らないので、怖いじゃないですか。だから全てが楽しかった。

池野

怖いから楽しかった(笑)。都会の青年だった八幡さんにとっては未知の世界ですね。

八幡

未知の世界に入る自分もワクワクしてたけど、そこにはなんか知らないものがいっぱい広がってたんです。それまではその広がりを実感する機会を失ってたってことなのかな。

池野

それを取り戻した感じなんですね!その感覚を。

八幡

うん。そんな感じがしました。だから、これだ!楽しかったのは。だから子供の時に出来ることをもっと大きくしたみたいな感じで動き始めたんです。あっち行ったりこっち旅をするようになりました。

「獲って食う。そこから始めたいな」。

池野

どんな感じの旅だったんですか。

八幡

たとえばテントを背負ってモンゴル行ってひたすら西に歩いてみようとか。ハンガリーに行ってみたり、自転車で青森まで、自給自足しながら行ってみようかなとか、そんなことしてましたね。そんなことしてた時に、八丈島の新聞記事に出会ったんです。そこに自給自足で森の中で生きている人がいるみたいなことが書いてあった。僕の親父が北海道出身なんですけど、里帰りした時に貝とかウニを獲って来てくれたんです。それがすごく美味しかったっていうのが、古い記憶の中にあるんですね。それが僕は自給自足のきっかけだと思っていて、そういうのをやりたいっていう欲望もどんどん芽生えていったんです。

池野

その方にはお目にかかれたんですか。

八幡

結局その新聞記事の人には会えないんですけど、それに近いような人に会って一緒に潜らせてもらったんです。その人の水中で見たことのないイルカみたいな動きするんですよ。これはすごいなと思って。感動しましたね。

池野

自分で出来るって思いました?それ見た瞬間。

八幡

いや、出来ないって思いましたね、初めは。だけど、その人は「いや、誰でも出来る」って言ってました(笑)。だって、上から見て「ほら魚があそこにいるよ」って言われても、今はわかるけど当時の僕には見えないですよね。どういう風に魚が20メートル下の海底にいるのか見えてない。で、潜っていっくと「えー!あんな小さくなっちゃったの」みたいな。ははは(笑)

池野

私もダイビングするので分かります。20メートル結構な深さですね。

八幡

それで海底に着いたらピタッと動かなくなって、静止して。上がってくると血抜きとかの下処理が終わってるんですよ。潜ってから3分もしない…2分くらいで。それをその人は誰でも出来るっていうから…。

池野

じゃ、やってみよう!

八幡

じゃ、やってみるか! で、出来た(笑)。もう潜りまくって、耳抜きもしてなかったですから初めは。3メートル潜ったらもう痛くなるじゃないですか。

池野

ええ。水面から3メーターとか5メーターくらいが一番痛くなりますね。

八幡

それすらも知らないでやってるうちに、耳抜きの存在に気づいてできるようになった。痛ささえなくなればだんだん息が長くなってくるんですよね。初めて魚獲った時はめちゃくちゃ嬉しかったですね。僕、イシダイを初めて獲ったんですよ。

池野

高級魚じゃないですか。

八幡

食べたらすごく美味しいんですよ。八丈の人が来たのでイシダイ獲りましたよ、っていったら「お前、それイシダイじゃねーぞ」って。「それ、ネコマタギってやつだ」って言われて…猫も食わないタカノハダイだったんです。

池野

でも美味しかったんですよね。

八幡

なんですかね。この食べるっていう行為は(笑)。当時はそれだけで驚いてたんですけど、「えー!猫も食べない物が美味しいってすごいなー」ってただそれだけだったんですけど。

池野

今なんでも美味しく食べてしまう八幡さんのルーツ発見!(笑)

八幡

食べるっていう行為は、食べて美味しいとかいうこともちろんあるんですけど、そこじゃない要素がすごいある。精神的なものとか、作るまでの過程とか。その過程を僕らは全てぶっ飛ばしちゃってるわけじゃないですか。だからミシュランの星付いた店行って美味しいとか、そんなことよりボロボロになって体動かしたあとの水一杯が美味しいってあるかもしれないのに。そういうことにちょっと気づいて、「そうだ!獲って食う。そこから始めたいな」と思ったんですよね。それでもう覚悟がついた感じです。「全ての魚を食べる」のを目標にしたんです。

当初グレートシーマンプロジェクトには相方がいた

池野

いきなり壮大な目標を掲げてしまいましたね(笑)。

八幡

ええ。それが一番感動してるから、そこからあまりぶれなくなりましたね。それまでは親父には成功しろ成功しろみたいなこと言われてましたし。卒業間近に親父に「俺は魚獲って、生きるってことを実感したい。実際人々がどう生きているのかを見て回るんだ」って伝えたんです。「就職はどうするんだ」というから、「そんなのはしない。就職したら、それはもう一生見ることは出来ないから」っていって家を出ちゃったんです。

池野

お父さんとその後は会ってらっしゃるんですよね?

八幡

すぐあとから、出っぱなしで旅してたんですよね。そんなことしてたら親父がガンになってしまって亡くなっちゃうんですけど。

池野

いつ頃ですか。

八幡

僕がカヤックに出会って、より活動が広がり始めた時ですね。その頃には覚悟は決まってるから、多分すごい活き活きしてたと思うんですよ。

池野

グレートシーマンプロジェクトが始まっているときですね。

八幡

ええ。一番乗ってる時じゃないですか。どんどん世界が広がって、自分が知りたいことは吸収出来てる時だったんです。そんなの見てたからだと思うですけど、それこそ死ぬ一週間くらい前に「お前みたいな生き方もいいかもしれないな。」みたいなこと言ったんですよ。 親父は企業戦士みたいに働きまくって、始発と終電みたいのを繰り返して、殆ど家族の顔を見ないような親父だったんですけどね。会社辞めた途端にすぐ死んじゃうわけじゃないですか。もう体もボロボロになっていて。

池野

定年後すぐだったんですか?

八幡

そうですね。63だったので。会社人間でずっと働き詰くめできたけれど結局病気をしてしまう。だったら暁みたいな生き方もいいのかな、とか感じたのかな。

池野

きっとそうですね。グレートシーマンプロジェクトで頑張っている姿を見ていただけてよかったですね。

八幡

そう思いますね。

池野

最初からおひとりでプロジェクト始めたのですか。

八幡

いいえ、最初二人で始めたんですけど、1回目の遠征で僕らは全財産を流してしまったんです、それも始めの頃に。

池野

全財産流した?

八幡

オーストラリアからニューギニアに向かう予定だったんですけど…。

池野

本当に水に流れた!?(笑)

八幡

そうそうそう(笑)それで相方はそこで辞めてしまった。僕はそんなじゃ全然やめらんない、だってここから先が一番楽しいからと。で、継続して今に至るってことなんですけど。

池野

うっ、…今に至るが早いですね(爆笑)。

八幡

ははは(笑)結局、導入部分の右往左往が一番心持ち的には大変なんですよね。スタートして、動いてしまえばもう覚悟決まってやってるから、あまり大変じゃなくないですか?

池野

そうですね。確かに私の場合も一歩踏み出す前がドキドキであれこれ考えてましたね。楽天的なので考えるのもめちゃめちゃ短時間でしたけど。覚悟が決まれは早いですね。ははは(笑)

八幡

動き始めちゃえば平気ですよね。

池野

そうそう。大して大変でもない(笑)。

八幡

そうですよね、やること別にやってたら。

池野

次々に止めどもなく目の前に現れる事象をこなしていくっていう感じですよね。

八幡

そう、こなしてく。そしたらこんな感じになった(笑)。

自然の中では死なない段取りをするだけしか出来ない

池野

すごくよく分かります(笑)。相方がいなくなって一人で始めた頃はGPS使っていたのですか。

八幡

使ってました。GPSは長いこと持ってましたよ。衛星電話も持たなきゃダメとも言われてたんです。当時はまだそんなに技術も知識も経験値もないから言われたらそういうもんかな、って思いますし。

池野

いまは持ってないのですか。

八幡

持ってないです。持たなきゃダメとは言われてるけども、論理的に持たない理由はこうですよって言えるので。むしろ、「何で持たなきゃいけないって言うんですか?」って反撃しちゃったりして(笑)。

池野

反撃する人はそういないからびっくりしますよね。

八幡

そうそう。「危なくないことをしたいわけじゃないんですよ」って。むしろそれを自分の力でどう回避して、そういう回避して行く行為を人間はやってきたから、それを知りたいんだって言いますね。GPS持ったら出来ないじゃないですか。それがある前提の旅なら別に初めからしない、とかって言うと向こうも納得するしかない。

池野

八幡さんが以前おっしゃった『自らの弱さを見失えば傲慢になる』っていう言葉思い出しました。先日たまたまなんですけど、星野道夫さんの奥様の直子さんにお目にかかる機会があったんです。星野道夫さんもやっぱり森にライフルを持って入らないっておっしゃってました。「あれば安全なんだけれど、そうすると傲慢になって自然の声を聞けなくなってくる。どんどん違う方向に行ってしまう。だから僕はライフルを持って入らないんだ」とおっしゃっていたそうです。

八幡

なるほど。

池野

八幡さんのお話伺っていたらそのことをふと。やっぱり、何かが鈍って余計危なくなってくるっていうこともあるんでしょうか。

八幡

すごくあると思いますね。まさに、同じ感覚ですね。自然の中での人間はほんと脆い。だから脆いなりに考えるしかないじゃないですか。

池野

全てが命に関わってきますからね。

八幡

そうなんだよね。死なない段取りをするだけしか出来ない。だから生きてるだけでいいなぁって思えるようになる。あとはね、何か楽しい事が起きたら、更にラッキーだなーくらいの心持ちになってしまうんでしょうね。あんまり欲望も無くなってきちゃいました。

池野

そんな八幡さんが今一番したい事って何でしょう?

八幡

今はコミュニティを作ることかな。その方が人間みんな楽しくなるから。無いならそれをもし作ることに関わっていたいなって思います。

逗子では「むしろ普通のおじさん以下(笑)

池野

コミュニティ作りといえば、毎週逗子の海でイベントをされているそうですね。

八幡

海の子供会っていうんですけど昨日も昼間12時くらいから21時くらいまでやってました。夜はお母さんお父さん達と焚き火しながら飲んでいましたけど。子供は、勝手に遊ばせておいて(笑)。

池野

参加されるのは、この地域の逗子の皆さんですか。

八幡

そうですね。もう顔見知りなので子供も預けられちゃうし、遊ぼうって言えば皆集まってくるし。

池野

石垣島から逗子に移ってどのくらいになりますか?

八幡

3年ですね。地域でちゃんとした人間関係を作るには、やっぱり3年くらいはかかるかな。そういうのがもう街の暮らしにはあまりないので一から作るとなると時間かかりますね。

池野

どのくらいの人数が集まったりするんですか。

八幡

そうですね。子供で、ちゃんと顔がほぼわかるのは100人弱くらい。

池野

100人!?学校の先生みたいですね(笑)。

八幡

そこにお父さんお母さんとか、兄弟とかいるから…4、500人くらいいますよね。その500人で出来ることをやりましょうみたいな、感じです。今はなんでもお金を払って専門家に頼んじゃうじゃないですか。塾でも住居でも。そうすると楽だけど、どんどん地域での人間関係を築けなくなっていきますよね。

池野

そうですね。人間関係が希薄になっているのは随分昔から言われていますよね。

八幡

食べ物も多くの人が直接関わらないですよね。自分達で、手間はかかるけど野菜の苗を植えたりとか、蜜柑を収穫してお菓子にししてみたり。

池野

お塩も作っているとお聞きしました。 さすが沖縄仕込みですね(笑)。

八幡

はい。逗子の海水で塩も作ってます。美味しいとか不味いとかより楽しい(笑)。何でもまず自分達でやろうよ、と。それは面倒とかいうことじゃなくて楽しいことだから…直接自分の体に入れることですしね。あと、鶏も絞めてみんなで料理を作ったりしました。命をいただくことの大切さを子供たちに知ってもらいたかったんです。

池野

あとは魚!八幡さんはモリ一本で魚を獲って旅をしていらっしゃいますものね。

八幡

そうなんですけど、残念ながら潜って獲っちゃいけないみたいなんです。

池野

えっ!そうなんですね。1番、子供たちに見せたいところなのに。

八幡

そうですよね。海のそばにいながら自分の得意なことができない。まぁ、それも良かったかなと思うんですよ。専門家として専門的な事をやるんじゃなくて、普通のおじさんとして接することができたし。

池野

普通のおじさんとして(笑)。

八幡

むしろ普通のおじさん以下(笑)。仕事しないで、なに鶏飼っているんだっていう(笑)。鶏の飼い方も知らない。農家の事も知らない。

池野

逗子に来て初めてのことばかりですものね。

八幡

住宅街の中で鶏飼ったり、自分家の庭を全部食い物にしてみたり。そこからスタートして子供達と遊びながら、伝えながら一緒にやろうよみたいな。そうすると…なんていうのかな、いつの間にかいいコミュニティになってましたね。生きる事にみな主体的になってきたっていうか。

コミュニティがあると都市型の犯罪や心の病も少なくなる

池野

逗子を離れて石垣島に八幡さんが移られても、コミュニティはこのまま続きそうですね。

八幡

もう間違いないですね。別に僕が主導してたってわけではなく皆でやってましたから。

池野

でも八幡さんが居なければ始まらなかったですよね。

八幡

たまたまきっかけ作りに入り込んだようなものです。自分が見てきた世界はそういうのが当たり前の世界で、それに感動してこうして生きている。でも地元に戻ったらそのことを喋るだけで、都会の中では自分も実践できてないっていう思いがどっかにあったんですね。石垣島にはもともと何百年も続くコミュニティがあって、それは僕自体は居させてもらってるだけから居心地がいいんです。実際に自分の地元でそれができるかやってみたくて戻ってきました。沖縄は全体で文化が色濃く残ってるんですね。こちらのように人が何万人集まるイベントだとか、集客がなんだとか・・・そういうのじゃない、神様に感謝するお祭りがいっぱい残ってるんです。あるべき姿の祭りとか信仰が地域を繋いだりしている。

池野

五穀豊穣に感謝する新嘗祭のような、自然に内からでてくる感謝の気持ちが祭りとして現在にピュアな形で残っているということですね。

八幡

そうですね。暮らしと生きることが近いということかもしれません。だから、祭りなんだから仕事休むの当たり前でしょ?みたいな。

池野

そう言われると納得(笑)。

八幡

街でそんなことしたらおかしくなっちゃうじゃないですか。経済活動が優先で、生きることなんて改めて考えないですもんね。自然災害が起きて初めて考えるのが現状ですよね。そのためにコミュニティを作るわけではなくいんですけど。特に災害時は人間の弱さがすごい際立って一人じゃ出来ないから人の繋がりが大切だと認識するわけですよね。本来その時になってからするものではなくて、もともと弱いのに繋がりをもっていないことがおかしいんです。暮らしとそこの土地の当事者になってるコミュニティがあると、いわゆる都市型の犯罪や心の病いとかも少なくなると思うんですよね。

池野

地域全体で目を配る、心を配ること今本当に必要とされていると思います。このあと逗子から石垣島に拠点を移されるのですよね。逗子はコミュニティが出来上がってきてるので安心して離れられますね。

八幡

そうですね。逗子では地域のコミュニティが出来た子供達がいるので海は自分達の海になってますし、学校以外にも関係性が作れるようになって、より生きて行くうえでの幅が広がっていくんだと思います。子供達が大人になってもその環境に対しての関係性がなければ、破壊されようが何しようが愛着もなくなるのだと思います。その悪循環だから子供の頃に海でいっぱい遊んで楽しい思い出がたくさんあると違ってきますよね。この海潰されたくないなとか、あんな美味しいものが採れるのになんで汚い水流すのかな、とか。

人の暮らしは体験からしか変わらない

池野

確かに。子供の頃の体験や記憶は大人になっても残っていますよね。深いところで。

八幡

そうですね。今の社会って情報が大量にあるじゃないですか。こうした方が地球にとっていいとか、こうすると暮らしが変わるとかあるけれど、情報から人の暮らしは変わらないと思ってるんです。

池野

体験からしか…

八幡

変わらない。子供たちは火つけて初めて熱いって分かる…でも火は料理にも使うし、使ったら食べ物がもっと美味しくなる。その危なさも良さも自分で体験して初めて分かるようになる。包丁もそうだし何でもそうじゃないですか。説明書読んだら上手くなることもないわけです。
まずはやってみる。それも自分が楽しいと思うやり方でやってみる。その積み重ねでしかないと思ってるんです。それが、知らない世界を楽しみながらちょっとずつ超えていけたらいいですよね。自分価値観みたいのがありますよね、皆。そこを超えていくことが怖いと思ってる人も多いじゃないですか。与えられた情報の中にいた方が安心だし。でも勇気を持って出て行くってことで広がりがあったり、自分の生きる力を得られたなっていう自分の実感があれば、どんどん出てくんですよね。子供達なんか見て本当そう思います。急に変わる子もいれば1年間くらいかかってようやく変わる子ももちろんいるし、あと居場所があることが大切なんですよね。

池野

子供たちの心の居場所ですか。

八幡

例えばお母さんお父さんだけだと、こーしなさい、あーしなさいとか、なんで時間なのに準備出来てないとか、そういう風につい言ったりしますよね、どこの家庭でも。だけど、近所のおじさんと仲よかったり地域の仲間が居たら、そこに行けば「あー俺もそんなもんだよ」とか言ってもらえるわけで。そんなの気にすんな。とか(笑)。

池野

ダメな大人が周りに居る感じが心地よかったりして(笑)。

八幡

そう、ダメでもオッケーなんだっていうか。お前がやりたいようにやればいいとか、そんな関係性があると自己否定されないっていうか。学校の勉強だけで判断されがちじゃないですか。

池野

子供の頃は学校がすべてだったりしますしね。

八幡

判断基準がないですよね。スポーツ出来るか、勉強が出来るかの2択しか。

池野

スポーツも運動もできる文武両道の子もなかにはいますけど。

八幡

殆どの人はそうじゃないわけだから…仮に中学校で秀才だった子も高校になったら、同じ秀才が集まるわけだから成績の順位が下がっていくわけじゃないですか。常にトップは1人しかいないですよね最終的には。そんなのがいいとされる物差しとか…ぶっ壊せばいいとか言うわけですよ。そこにいる大人が(笑)。そんな勉強出来ないことなんか気にすんなとか。

生きていれば自分の才能が何かに引っかかる

池野

子供は情報量少ないですもんね。だから間口を広げておいてあげないと選択出来ない。それを広げてあげてるっていうことですね。八幡さんのような自由な方が(笑)。

八幡

そうです。生きてさえいればいい。生きていれば何か感じるじゃないですか。何で感じるかはそれぞれですけど。だけど生きてれば自分の才能が いつか何かに引っかかることがある。その引っかかった時に、引っかかったことでもいいんだって思えてないと引っかかれないですよね。
これは意味ないんだ、とかこんなことしてても仕事にならないなぁとか。そんなもん気にするなって、僕は言い続けてるんですけど。どうにでもなるって。

池野

同感です! 私もどうにでもなると思って生きているんですけど、それを怖がる人がすごく多いですよね。

八幡

多いですよね。いい会社に入ってというんじゃなくても生きていけますね。それも、もっと楽に生きていける気がしますね(笑)。

池野

八幡さんほんとに楽に生きていらっしゃるように見えるから。本当にそうなのかはご本人しか分からないとは思いますが。みんな憧れちゃいますよ。

八幡

それをなんか「八幡さんだからだ」って皆言うじゃないですか。

池野

あ!それ。そういうの私もよく言われます。だから私のやってることなんて誰だってできるって、言っているんです。

八幡

僕も同じ事を言いますよ。ははは(笑)

池野

ははは(笑)ただやるかやらないかだけなんですよね。

八幡

それだけなんですよ。

池野

あとは覚悟の問題だよ!、って。

八幡

ほんとにそうですよね。その差はどこにあるのかなって思うんだけど。何でもいいんだっていう。やればなんとかなるだっていう、そのちょっとした成功体験の積み重ねとかでしょうか。いきなりすっごい美味しいワイン作るぞ!って言ったら大変かもしれないけど、ちょっと本を読んでみようとかね。池野さんもそうだったんじゃないですか。

池野

はい。ワイン作ると決めた時なんて本当に何の保証もなく、あの場所でブドウを一本一本植えていったんですよね。でも自分ができる限りのことはしようと思ったんです。私。だから持てる限りの知識と体力を使ってやってみようと。できる範囲の能力の中全てを注ぎ込んで。私史上MAXで(笑)それで美味しくなかったら仕方ないじゃないかと思って。自分の能力だから(笑)。

八幡

ほんとですよね。

池野

だから別に自分を知るっていうことでも楽しいっていうか。

八幡

僕も池野さんと全く同じこと言ってんだけど(笑)。

池野

本当ですか?気があいますね(笑)。

八幡

でも大概やってしまってる人って同じようなことようなこと言うじゃないですか。ジャンルはともあれ、そんなに変わらないです。自分のやりたい事を素直に生きてしまえば。諦めというか納得もいくし、やれること以外の事で起きようもないじゃないですか。

池野

本当にそうです。

八幡

やれなかったらやれなかったで、それが分かってラッキーとかってあるじゃないですか。やらない人は何か考えすぎちゃうのかな。子供の時からいろいろ言われ続けてたら、エネルギー量が多い子は言われようが言われないだろうが勝手に飛び出すと思うんですけど。多くの子は出れなくなっちゃうのかな。

生きるために必要な力を取り戻したい

八幡さんのシーカヤックの旅に欠かせない愛用品。

池野

子供の行動範囲はどうしても狭いですからね。家、塾、学校の往復で。

八幡

それ、でも大人にも言えますよね。結局、会社と家の往復しかしてないとか。だとしたら世界観もあまり広がらないですよね。24時間すべて意義あること、お金に還元できるような事とかになると息苦しくなってくるんじゃないですか。そこから外れたらもう終わりだ、みたいに思ってたら。でも年齢を重ねると給与ばかり高くなってどんどんその路線から外れにくくなる。

池野

そして、だんだん自分のポジションとか将来とか見通せる年代がやってきて、もうすぐ定年だなっていう。そうなると寂しいですよね。

八幡

だからもっと遊んだ方がいいですよね、大人も。自分自身も苦しんだんですけど、一つの物差し、いわば価値観の中で、生きなきゃいけないような社会じゃないですか。僕が見てきた漁村は、別に学歴社会でなければ会社や組織もない、ただ目の前の物を淡々と食べ続けてるだけの社会なんですよね。そして生まれて死んでいく。街の人から見たらそれで楽しいの?っていうような暮らしなんだけど、楽しいわけじゃないですか。少なくともみんな脈々と生きてるから、それでもいいんだと実感して帰ってくるんです。でも帰ってきた自分のこの社会はそうなってない。だったらそうなった方がいいなっていう。文明が後退していくってことはなかなか出来ないから、電気のある生活を否定したりするつもりはないけれど、生きるために必要な力を取り戻したいと思いますね。

池野

石垣島にこれから戻るわけですが、そのあたり伝えられるといいですね。

八幡

前回石垣島に住んでた時はただ住まわせて貰って、自分が出来たような、その生きるっていうことを体験してもらう、いわゆる授業を始めたわけですが今回はちょっと違うやり方が出来ると思ってるんです。「ちゅらねしあ」っていうお店でやってる、最高な自然体験をしてもらうお店をしてるんだけども、それすらもただ消費させてしまって終わってるっていう思いがどこかにあったんです。だから今度はただの消費で終わらせないことが出来ると思います。

池野

そこから、自発的に何かその人達が日常に戻った時に行動起こせるような仕掛けを作っていくような感じですか。

八幡

そうですね。石垣島はみなさんにとって非日常なので、その石垣島でできたことが家に帰ってもできるようにする。自分も3年かかってますが、石垣島から逗子に戻ってできたわけですから。実際逗子の街は変わりつつあるんです。子供達も親達も変わってきました。自分達で勝手にあちこち大豆を植えたりとか、その辺の野草の事が分かるようになってきたので、採りすぎるなよ!とか注意してます。

池野

そうですか(笑)。自給自足が出来るエリアなってきたんですね。

八幡

それを教えてたんですよ。出来るようになるんですよ。特殊でも何でもなくて誰でも出来る。それも地域も作れて、子供もお母さんもすごい住みやすい環境ができる。役所がしてくれるんじゃなくて、自分達がするんだみたいな気運が高まっているんです。嘘だと思ったら逗子行ってみてください、って言えますよ。

池野

それはもう逗子に限らず全国に波及していくような、そんな活動も出来そうですね。

八幡

出来そうな気がしますね。港区とか千代田区とかに住めればですけど。誰かが一部屋用意してくれて、「八幡さんここで活動してください」って言われたらいくらでもやりますけどね(笑)。

人間はシェアすることで何万年も生き残ってきた

池野

でもそれが八幡さん一人じゃなくて、他に核となる人達を育てるのが八幡さんの役割かもしれませんね。それとお聞きしたかったのが「漁師さん達は皆で助け合ってそれで魚をみんな分かち合って暮らしていく」と八幡さんおっしゃっていましたよね。分かち合うこと、そんなに容易いことではないですよね。

八幡

分かち合うというと嘘っぽくなるんですけど、でもその方が住みやすいんですよね。ほんとは。

池野

居心地がいいってことかしら。

八幡

居心地がいいっていうのは言えるかもしれない。だって信頼関係が生まれる訳じゃないですか。お金を介在させない信頼関係は強いですよね。お金払ったから対価をもらうのは消費です。本来、信頼で担保されて動くっていう行為が弱い人間社会には多分すごいフィットしているだと思うんですよ。だから、ほんとはそれで居心地いいはず脳には。それをお金で替えてしまうと、その居心地の良さは消えちゃうわけだから、お金がないと不安に晒されますよね。お金があれば何とか生活は保てるから分かち合いも信頼もいらない。でも、そこではあまり居心地が良くないんじゃないかなと。

池野

そうですね。お金を払っているんだからやってもらって当たり前になりますし。払っている方も受け取る方も感動はありませんよね。

八幡

別にお金で行為の対価を貰わなくても嬉しいですよね。むしろない方が嬉しいかも。八幡さんに一日1万円のガイド料で雇ったから子供たちと遊んでもらったというよりは、子供達がどんどん変わってって、お母さん達にも感謝されたらまた違う喜びがありますよね。やっぱり。

池野

じゃ、うちの畑で出来た大根食べて!とか(笑)。

八幡

ほんとそんな感じ。八幡さん家の壁壊れちゃったら俺直してあげる、みたいな(笑)。コミュニティで500人もいると何かしらみんな専門があって何とかなっちゃうんですよね。椅子作る、テーブル作る、今、新聞作ってて、プロであってもなくても作る。だから500人いたら別にお金なくても、ほとんどのこと出来るんです。英語塾に通わせるのではなく英語の得意なお母さんに教わるとか、スイミングスクールではなく僕が教えるとか。沖縄には「結」っていう仕組みがあるんですよ。お金をみんなで1万ずつ出して、1番困ってる人に渡すみたいな助け合いの仕組みです。

池野

無尽ですね。実家の長野県でもその風習今でもあります。

八幡

そうですか。お金も大切だけれども、基本は信頼関係で成り立っている人間関係だから強いですよね。精神的にも安定する。

八幡

京大の総長でゴリラ研究の第一人者である山極さんの話によると人間は猿族の中で弱い種族でチンパンジーにも負けるらしいんですよ。猿の進化の中で一番弱い猿だから地上に降りたんですね。
で、逃げて進化するんですけど、コミュニティを作るのは人間だけらしいんですよ。ゴリラは一家族だけでは動かせるけど、コミュニティを作ってシェアをするってことはしないんですよ。だけど人間は何万年もシェアすることで生き残ってきたんですね。だから本来そうやってしか生きられない動物だから、コミュニティにいる方が居心地がいいんですね。

池野

最適化させてきたわけですからね。

八幡

でもシェアしなくなって本来弱いのに信頼関係失わせると不安になって病気になっちゃう人も出てくるっていうのは、当然のことでそういう生き物らしいです、人間って。

池野

そうだったんですね。すごく納得できる話ですね。シェアすることは生きる術だった。みんなに感謝され自己肯定感も高まる、それで幸福感も得られるんですね。

八幡

そうですね。感謝されて生きやすくなるし、ばら撒かないと居心地良くならないじゃないですか。そういう意味では、ここ逗子では僕が持てるものは全部ばら撒いてるんですよね。それは海の経験とか食べ物の知識とか。それは僕だけやってても全然駄目で、いろんな人がそういうことした方が楽しいし、過ごしやすいってなった時に地域がすごい変わっていく予感はありますね。暮らしの結果でしか環境は変わらないし、地球を守らないといけないからっていうことで暮らしが変わるわけではないと思っているんです。日々の生活の結果、自分達のその先が作られていくはずだから日常をちゃんとする。そしたら自分の子供も地域も良くなるんじゃないかなって思って、試験的な事を逗子でたまたまやってたっていうことです。やってみたら、何かそういう確信がちょっと得られたんですね。

池野

「生きる」ということを再度見つめ直すための八幡さんの活動素晴らしいな、と思います。また石垣島に戻った八幡さんをぜひ訪ねてみたいと思います。シーカヤックから見える世界はこれからの日常を大きく変えてしまうかもしれませんね。ワクワクします! 今日はどうもありがとうございました。

対談を終えて

逗子海岸に現れた八幡さんは、すらっと伸びた長い手足、担いでいるシーカヤックがなければまるでどこかの専属モデルのようでした。まだ春の弱い日差しに包まれた海岸での対談は八幡さんの奥深い世界を覗かせてもらうとてもいい機会でした。冒険家としての八幡暁を掘り下げてみたいと思ったのですが、そこに現れたのは自然や命、人に真摯に対峙する活動家としての八幡さんでした。自らの体験を通した考えを惜しげも無く伝え、地域という舞台で支え合うことの大切さを先頭に立って実践していく。「人の暮らしは体験からしか変わらない。暮らしの結果でしか環境は変わらない。」声高に環境保護を叫ぶのではなく、人の暮らしぶりの変化から自然や地球を守ろうとする。感謝をして繋がりを持ちコミュニティのなかにあるからこそ人間としての尊厳が保たれるのではないか。海外、国内問わず現代の闇を紐解くキーワードがあちらこちらに散りばめられていたような気がします。たくさんのことを考えさせられ、教えていただいた対談でした。

 

冒険家 八幡暁

1974年東京都生まれ。現在、石垣島在住。
身の丈+10センチをサポートする手漕屋素潜店「ちゅらねしあ」代表
http://www.churanesia.jp

単独無伴走成功記録
2004年 神奈川県〜沖縄2250km
2005年 西表島〜沖縄本島500km
2006年 台湾〜与那国島 140km
2007年 フィリピン〜台湾 海峡横断
2008年 八丈島〜鎌倉 横断
2011年 フィリピン・パワラン諸島 400km
2012年 インドネシア・東ヌサトゥンガラ

海遍路
2011年 四国一周 高知編
2012年 四国一周 徳島香川編
2013年 四国一周 愛媛編
2014年 東北編
2015年 九州編
2016年 相模湾編
2017年 琵琶湖編(予定)

冒険家 八幡暁